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写真とか音楽とか、自転車をはじめモノの話をしてみたり。
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に、ついて考えてみる。

こいつが有る限りなんか束縛されてる、って感じてるひと多い筈。
もしくはこいつだけが自分と周りをつないでくれてるって人もいるかな?


どちらにしろ、携帯電話の普及で世の中は大きく変わった。
それがいいにせよ悪いにせよ。ね。

一人一人が固有の番号とメールアドレスを持ち、それを場所を問わずリアルタイムで持ち歩く。
あまつさえインターネットに接続する事さえできる。

自分が生まれた頃には想像もつかなかっただろうし、
その頃に小説に書いたって信じてもらえないかもね。

95年に「JM」っていうキアヌ・リーヴスが出てた映画あったけど、
たしかフツーの媒体では記録できないような大容量のデーターを脳みその中に記録する「運び屋」のはなし。

キアヌ扮する運び屋の容量は最初80GBだったからねぇ。
設定は2021年だったけど。
IiyamalineのMac Miniより少ないじゃねーか。


かと思えばバック・トゥ・ザ・フューチャーでは2015年に車が空飛んでるしね。

テクノロジーの進化ってのは容易に予想できない。
それを扱う人間が置いていかれてしまうスピード。

楽しみだし、怖いね。未来は。


っうか最初の話から相当それてるね。
もう記事のタイトル無視してるしね。


まぁ正直携帯代を払いそびれてたってのが記事書いた動機なんだけど。

思ったより長文wwww


まぁ、そんな夏休みですね。ええ。






 
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 文学再考。

 

 

結構いままでいろいろな本を読んできた。

まぁ、理系にしちゃ多い方だと思う。

 

 

で、今更ながら、もう一回読んでみようか。と思っている。

 

 

なにか不思議な切迫感に打ちひしがれている。

 

本を読まなくてはいけない気がする。

 

やりたいことだけしてたい。

 

無理なのは承知。

 

 

 

この夏休みをどう過ごすか、大事だ。

 

 

 

インターネットがあると、いつまでも寝れない気がする。

知りたい事は山ほど有るし。



そーいやジョニー・ウォーカーのSwingを手に入れましたよ。

買ったんじゃなくてもらいました。

おもれーボトルだな、これ。

帰省しててピアノが弾けない。


あ″ー。



最近、ピアノが唯一自分と音楽を結びつけてるという気がする。

もう単に聴いていてもだめな気がする。

弾きたい、演りたい。


なんでもいいのだが。


フラストレーション。


苦しい。

ネオテニー・ジャパン展(於・新潟県立近代美術館)を見てきた。

 

タイトルの通り、ネオテニー(幼形成熟)が今回のテーマ。

”現代美術はネオテニーである”とか。

もともとネオテニーとは生物学上の言葉で、

成体において幼体の部分が残っていることらしい。

 

絵画、立体像形、映像、、、、

素材は多岐におよぶ。

 

 

個人的には、こういう展示は初めてなので期待と不安が混じった気持ちで赴いた。

 

 

十分に見る時間がなかったのだが(1:30ぐらい)、感想を。

 

 

一言で書くなら、「感性の塊をぶつけられた」感じ。

 

自分の方にそれを受け止めるだけの能力がなかった。

理屈ではないとおもった。純粋に感情?の話である。

 

今回の目玉でもある、加藤美佳さんの「パンジーズ」。

ゾクッとした。

 

単純に奇麗で、魅力的な存在として緻密に書き込まれた少女。

それでいてどこか不自然さを放つのは、

骸骨がいるからなのか、少女がツクリモノであるからなのか。

何度見ても背筋がゾクッとするのは、不自然さの性ではなく、

その魅力的な存在感のせいだろうか。

 

 

新潟出身である、会田誠さんの「大山椒魚」。

 

ごつごつしたオオサンショウウオと対比させて描かれた、それに横たわる二人の少女。

滑らかな躯の曲線は思い切りのいい一本の線で表現されている。

嫌らしい感じの全くない、純粋無垢な美しさの象徴として描かれた、

(のかどうかわからないけどそう思う。)少女は本当に奇麗だった。

 

他にも面白い展示は沢山あった。

現代美術としての特徴である「展示空間そのものが作品」

というのも面白い体験だったし。

 

正直、自分の感情を文章にするのは苦手なので、これぐらいで勘弁してつかあさい。


「幼形成熟」とは、こんかいの展示で何を意味するのだろうか?


展示会のパンフには、こうある。

 

「neoteny=幼形成熟の意」をキーワードに、90年代以降の日本の現代美術にみられる特徴―幼さ、カワイイ、こどものような感性、マンガ、 アニメ、オタク、サブカルチャー、内向的、物語性、ファンタジー、過剰さ、日常への視線、技術の習熟、細密描写、巧みなビジュアル表現 など、日本の現実や若者の心象風景とリンクした世代のアーティストたちが生み出してきた新たな世界を多角的に読み解きます。

つまり、「幼さ、カワイイ、子供のような感性・・・」は日本現代美術の特徴として位置づけられる物なのである。

 

今回の展示でもみることが出来るが、奈良美智さんの「Candy Blue Night」のような、

女の子が持つ不思議かつ深淵な魅力はまさに少女だけが持つものだと謂っていい。

他のものでまかなう事ができないものである。

 

最近話題の児童ポルノ法の改訂だが、例えば「大山椒魚」は処罰の対処になるのだろうか?

前述したとおり、「大山椒魚」に於ける裸の少女は美しさの象徴として描かれている。

服は一切身に付けていない。胸はもちろん、陰部もぎりぎり描かれている。

これは現行児童ポルノ法の第二条第三章三項の「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であった性欲を興奮させるもの」

には当たらない、なぜなら第二条第三章で「児童ポルノ」として規制されているのは写真、電磁的記録であるからだ。

しかしこれを電磁的記録、つまりパソコンのデータとして画像をブログに張ったりすると、第七条第四項で罰せられるかもしれない。

これが「性欲を興奮させるもの」と判断されれば、の話である。

そして改正法案では写真のみならず絵(もちろんマンガも含まれる)を含む様々な表現手法が規制されたり、単純所持が規制される可能性がある。

つまりネオテニー・ジャパン展について調べて、そこで「大山椒魚」の画像を見た瞬間、

キャッシュに保存された画像であなたは検挙されるかもしれない。

 

それにこの児童ポルノの基準がいまいち判然としない。

 

同じ物を美術館で展示するのは犯罪ではないが、

ちゃんと許可を得た上でインターネット上で公開するのは犯罪になりうるのである。

 

それにそもそも性欲を興奮させるものというのは、人によって異なる筈だ。

この絵を見て、性的に興奮するひとというのはあまりいないと思うが、

この絵に描かれているオオサンショウウオは、男性器のようにも見える。

多分確信犯的な表現だど思う。少なくとも、少しは念頭に置いたのではないか。

といってしまったところで、この絵を児童ポルノだ、とすることができるだろうか?

 

当日会場には夏休みということもあって、美術授業の一環か女子も含め中学生が大勢いたが、

この絵を児童ポルノだと認識していれば、先生はこんな展覧会には生徒を絶対に連れてこない筈だ。

 

そもそも児童ポルノ法というのは、児童に対する性的搾取及び性的虐待から児童を保護することが目的の筈である、

が、このまま改正が進めば単なる表現の権利に対する侵害となりかねない危険性を孕んでいる。

 

 

確かに、児童にたいする性暴力は許容できるものではない。それは確かなことだ。

 

だからといって、今回の「大山椒魚」が検挙されるようなことになるのは甚だおかしい事ではないか?

 

 

この問題は良く考える必要がありそうだ。

 




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